民主党政権の時に作った文章なので、閣僚の名前が現閣僚とは違っています。

「夫婦別姓は世界の常識」というのは本当ですか?

嘘です。
世界のほとんどの国々が夫婦同姓で、別姓を認めている一部の国でも子供には父親の姓か、両親の姓を合わせた姓(結合姓)を名乗らせ、ファミリーネームの存続につとめています。
世界で唯一、スウェーデンだけが同姓にするか、別姓にするかを完全に自由な選択制にしています。
でも、別姓推進派が理想視するそのスウェーデンでは離婚率が50%を超え、新生児の約半数は正式な婚姻外の子供(非嫡出子)です。

これからの時代は個人が尊重されるべきではないですか? 

逆です。
行きすぎた個人主義による社会の混乱に悩む世界の先進国では、家族の絆を大切にする方向に進んでいます。
犯罪増加に悩むアメリカでは民主党も共和党も家族の価値を再確認し、その保護をはかろうとしています。

女性が社会進出をする上で夫婦同姓は不便ではないですか?

確かに一部の職場や官公庁では女性が通称をまだ使用できないところもありますが、民間では通称を使用することに何の問題もありません。
平成13年7月に政府各省庁が通称使用に関する申し合わせを行うなど、通称を使うための法的整備は整いつつあります。

夫婦が別姓になると、子供にどんな影響があるのでしょうか?

別姓推進派に決定的に欠けているのが子供に対する影響、という視点です。
たとえ夫婦別姓でも子供は父親の姓を名乗ると決めているのならまだしも、法務省の案は「子供の姓は夫婦どちらかの姓に統一する」というものです。
子供は父親と母親の板挟みになって悩むことは火を見るより明らかです。
また家族の姓が違うということによって家族の一体感が薄れ、同姓夫婦の子供から学校でからかわれたり、いじめられたりすることが考えられます。
今でも幼児虐待や親殺し、子殺しといった痛ましい事件が多発しているのに、これ以上家族を崩壊させる法律をなぜ作らなくてはならないのでしょうか。

一部の人に別姓を認めるだけですから、それほど重大な問題ではないのでは?

埼玉大学の長谷川三千子教授は「選択的夫婦別姓 "だから" こそ問題だ」と指摘しています。
自由を教えて責任を教えず、権利を教えて義務を教えない戦後日本の学校教育によって、私たちはいつの間にか「自由に選べることは良いこと」と思い込まされているのではないでしょうか。
家庭のあり方を根底から覆す姓に関する法律は交通違反を取り締まる交通法規とは違うのです。安易に考えていては大変なことになります。
世界の国々はそれぞれ婚姻時の夫婦の姓に関する法律を持っていますが、それはその国の歴史、文化、伝統、宗教などと密接に結びついているのです。
よその国がどうだから、ということは関係ありません。
中国や韓国は夫婦別姓ですが、日本はあえてその制度を取り入れなかったのです。そして夫婦が同じ姓、しかもどちらかの姓を名乗ることによって先祖代々の名前を受け継ぎながらも二人が新しい家庭を協力して一から築く、という歴史の縦軸と家族の絆という横軸を組み合わせた素晴らしい制度を作り上げたのです。明治時代にこの制度を作り上げた先人の努力に敬意を払うべきではないでしょうか。

別姓を推進している人たちはどのような家族観をもっているのでしょうか?

別姓推進派の福島瑞穂氏は「家族だってひとつの定義に過ぎない。
家族も個人のネットワークなんだ」とか「別姓の夫婦が多くなれば、外から見ると事実婚なのか、法律婚なのか、分からないと思います。
私は事実婚なのか、法律婚なのか、まったく分からなくした方がいいと思うんです」と著書の中で語っています。
また千葉景子法務大臣は「戸籍を家族から個人単位に変えるべきだ」と著書の中で語っています。
つまり、別姓推進派がもくろんでいるのは家を単位とする日本の戸籍制度の解体なのです。つまり、日本の底力の基は家であり、強い家族の絆だということを知っていて、それを解体しようというのが彼らの最終目標なのです。夫婦別姓は決して女性の不便を解消するためなどではないということを私たちは見抜かなくてはなりません。

「姓」と「氏」と「名字」はどう違うのですか?

今は「姓」と「氏」「名字(苗字)」は同じ意味で使われていますが、もともとはまったく別のものです。厳密にいえば明治4年の「姓尸(せいし)不称令」で「姓」が廃止されて以来、日本人に「姓」はなく、あるのは「名字」です。「姓」は氏族の名であり、「名字」は家の名です。
家よりも血縁、しかも父親の血統を重視する中国や朝鮮では「宗族」という、ある特定の男性の血をひく血縁集団があって、同じ「宗族」は同じ「姓」を持ちます。
「姓」は男系で継承されますから女性は結婚しても姓が変わりません。
つまり夫婦別姓とは「妻は結婚しても部外者」という男尊女卑思想によるものなのです。
中国から「姓」制度が入ってきて、しばらくは日本でも「姓」を使っていました。「源」「平」「藤原」「橘」などは「姓」です。
しかし、血統よりも家の存続を重視する日本ではやがて「姓」とは別に「名字」を名乗り始めます。武士はそれぞれの領地の地名を取って「家名」にしました。中華文明の影響を受けながらも日本はそれを変形させ、独自の「名字」を生み出したのです。

参考文献:「夫婦別姓って本当に必要なの?−そこが知りたい10のポイントー」(日本会議事業センター)


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