「君が代」の「君」とは誰のことですか?

 「君」は天皇のことだと思っている人が多いですが、必ずしも天皇という意味ではなく「愛する人」という意味です。「君が代」の原歌(もとうた)は『古今和歌集』の「賀歌(がのうた)」、つまり長寿を祈る歌です。作者は不明です。
「わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」=「私の敬愛する人よ、千年も八千年も、小さな石が巨岩となって、その表面を苔が覆うようになるまで、どうか息災でいてください」―古代から庶民によって千年以上歌い継がれてきたこの和歌が日本の国歌になったのは明治時代です。イギリス人の軍楽長の「国歌を作るべきだ」という助言によって、大山巌がこの和歌を選んだと言われています。これに曲がつけられて明治13年、明治天皇のお誕生日である11月3日の宮中宴会で初めて天皇の前で歌われました。石や岩は時間が経っても姿が変わらないことから「永遠の命」を象徴するという発想が古代から日本人にはあったことが分かります。国歌が恋歌だなんてステキだと思いませんか?

「万世一系」とはどういう意味ですか?

 初代・神武天皇から現在の今上(きんじょう)天皇まで125代、ずっと血が途絶えることなく世襲で皇位が受け継がれてきたということです。神武天皇は神話に出てくるニニギノミコトのひ孫で、ニニギノミコトは皇室の先祖とされている天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫ですから、今上天皇も神話の神々の系統に連なっているわけです。日本では神話と歴史が繋がっているのです。世界でこれほど長く続いている王室はありません。このことがどれほど凄いことかは他国の例を見ると良く分かります。

第1次世界大戦後、ヨーロッパの王国だったロシア、ドイツ、オーストリア、ハンガリーで君主制が廃止されました。フランスは革命で国王を倒し、ギロチンで殺しました。イギリスは国王と国民の激しい闘争の末、君主を残して立憲君主国になりました。しかし日本では歴史上、天皇と国民が対立したことがありません。明治維新まで天皇が住んでおられた京都御所には低い塀しかありません。警護の者もわずかしかいませんでした。国民が天皇に反乱を起こすなどということは考えられなかったからです。

古代の一時期を除いて天皇は権力を私有したことがありません。明治憲法でも天皇は国政に介入できないようになっていました。天皇は戦前から権威はあっても権力はありませんでした。権威と権力を独占する専制君主や独裁者が現れる危険性を日本人は賢明にも避けてきました。日本の歴史に内戦や大虐殺がないのは天皇のお陰と言っていいでしょう。

天皇は「王」とは違うのですか?

「天皇」は日本にしかない君主号です。「天皇」という称号が初めて使われたのは第33代の推古天皇の時です。推古天皇の皇太子で、摂政として政治を行っていたのが聖徳太子です。607年、聖徳太子は隋の煬帝(ようだい)に一通の手紙を送ります。有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」です。中国大陸を治めていた大国、隋に対して「あなたも天子だが、私も天子で対等だ。しかもこちらは日が昇る国なのだから、こっちのほうが偉いぞ」という手紙を送ったのです。当然、煬帝は激怒しました。

しかし当時、隋は朝鮮半島の高句麗との間に紛争を抱えていました。隋としては日本が高句麗につくことはどうしても避けたかったので、煬帝は結局、遣隋使の小野妹子(おののいもこ)を丁重に帰すしかありませんでした。半年後、聖徳太子は再び小野妹子を隋に派遣します。今度の手紙には「東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝に曰(もう)す」と書かれていました。

日本でも推古天皇以前は「王」という称号を使っていました。しかし「王」は「中国の皇帝の臣下」という意味なので、聖徳太子は何とかこれを変えたいと思い、そのチャンスを狙っていたのです。そして隋が日本と断交できないということを見越した上で、まず思いっきり相手を怒らせ、次は対等の要素を残しつつ「天皇」という称号を使うことによって「王」を拒否したのです。聖徳太子の機智によって日本は中国の属国になることを免れ、自主独立の国だと堂々と宣言できたのです。

「三種の神器」とは何ですか?

 「三種の神器」は、それを持つことが正統な皇位継承者であることを示す象徴のことです。イギリス王室にもタイ王室にもそれぞれありますが、「三種の神器」は神話の時代に由来する世界最古のものです。

弟、スサノオノミコトの乱暴を怖れた天照大神は天(あま)の岩戸に引きこもり、世界は闇に包まれてしまいました。そこで神々は一計を案じ、天の岩戸の前で舞楽を楽しみ、大いに騒ぎました。すると天照大神は不思議に思い、ほんの少しだけ戸を開けて顔を出しました。天照大神が「私がここにこもって、世界は暗闇となったのに、なぜ神々は楽しそうに笑っているのか?」と問うと、アメノウズメノミコトが「あなた様にもまさる尊い神がおいでになったのですよ」と言いながら鏡を差し出しました。天照大神が鏡を覗きこんだ瞬間、戸の側に隠れていた神が天照大神の手を引っ張って外にぐいっと引き出しました。こうして太陽が戻り、世界は再び明るさを取り戻しましたーこの神話に登場する鏡と曲玉(まがたま)、そして剣(つるぎ)が「三種の神器」です。

現在も鏡は伊勢神宮に、曲玉は皇居に、剣は熱田神宮にあります。しかし箱の中に厳重に封印され、天皇ですら見ることは許されません。天皇が亡くなると、直ちに「三種の神器」は次の天皇に受け継がれます。昭和天皇が崩御なさった時はそのわずか3時間半後には、宮殿松の間で「承継の儀」が執り行われたそうです。

今上天皇のお名前は何というのですか?

今上天皇のご本名は「明仁(あきひと)」、皇太子のご本名は「徳仁(なるひと)」です。わずかの例外を除いて代々の天皇は「仁」の字を使うことが通例になっています。しかし身分の高い人を名前で呼ぶのは失礼なので、天皇や皇太子が名前で呼ばれることはほとんどありません。今の天皇を「平成天皇」と呼ぶと思っている人もいるようですが、在位中の天皇のことは今上天皇とお呼びします。天皇がお亡くなりになると別の名前でお呼びします。「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」などは「追号」と言って、亡くなってからお呼びする名前です。

天皇や皇族には「姓」がありません。そもそも「姓」は氏族という、共同の祖先を持つ集団を呼ぶもので、天皇が臣下に与えるものでした。ですから与える立場の天皇には「姓」がないのです。

今の皇太子は少年の頃は「浩宮(ひろのみや)」、秋篠宮は「礼宮(あやのみや)」と呼ばれていました。これは天皇か皇太子の子供にだけつけられる称号です。ですから「愛子様」という呼び方は失礼で、正しくは「敬宮(としのみや)殿下愛子内親王」とお呼びしなければなりません。秋篠宮の子供は皇太子の甥・姪になるので称号はありません。ですから「眞子内親王殿下」「佳子内親王殿下」「悠仁親王殿下」が正しい呼び方です。

「建国記念日」は何を記念しているのですか?

「建国記念日」は戦前は「紀元節」と呼ばれていました。初代・神武天皇が奈良の橿原宮で天皇に即位したと伝えられる「日本の始まりの日」です。紀元前660年に即位なさったと伝えられるのでその年を「皇紀元年」として計算すると、今年2011年は皇紀2671年になります。ちなみに西暦はイエス・キリストが生まれたと伝えられる年を起点とする紀念法です。

天皇のお仕事(公務)にはどんなものがありますか?

 日本の天皇と他国の君主とはどこが違うのでしょうか。三島由紀夫は「大統領とは世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀(さいし)の一点においてことなる」と指摘しています。祭祀は天皇のさまざまなご公務のなかでもっとも重要なものです。天皇とは神道における司祭のようなものといえるかも知れません。天皇は日本国民を「大御宝(おおみたから)」と呼ばれています。天皇は常に国民の平安と国家の安泰を祈ってくださっているのです。




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